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1904年11月17日

今から107年の今日、イサム・ノグチが生まれた。初めてイサムの空間を訪れてから、ニ年と半年ぐらいである。それから研究という変なものを通して、もしかすると一番扱ってはいけない関わりかたで、イサムさんと関わらしてもらっている。
僕は牟礼の庭が大好きだである。荒々し、精悍な石段を上がって行くと、やっさしいまーるい丘が現れてくる。イサムさんその人だったのではないかと思ったりもする。
もし、あの庭が僕の庭だったら夕暮れ時はあそこへ登りぼーっと本でも読みながら、たまには寝ながら日が落ちるのを待つとおもう。もし、あの庭が僕の庭だったら、今の時期は必ず陽が登るまえに散歩しに行くだろう。朝露に濡れた石を見つめながら、今日もいい空気だと感じるのだ。
そんな僕は今屋外彫刻の分析をしようとしている。ちなみに今日のゼミは完全にコールドマケだけど、やっぱりやると収穫はある。と前向きにいかないとと思う。てか、普通に悔しいのでやる。話を戻す。
庭はイサムさんと言う人、その性格の写し鏡の様なものだと思う。そして、屋外彫刻はイサムさんの作品である。庭は作品ではあるが、作品ではない。もともと自邸の庭だ。好きな様につくり、和泉正敏さんのおかげで完成した。和泉さんがいなければ、存在しないものであった。だから、空間を幾何学的に分析することは、ナンセンスだと思っていた。卒論はあれはあれで良かったと思っている。
さてはて、問題は修論である。今日先生に幾何学的に分析したいのかと問われ、そのときはパッと答えることが出来なかったが、今はそうですと言えると思う。なぜか、定性的な領域でやるほど屋外彫刻は面白くないのである。作品が面白くないのではなく、それを感じ取れない私のまずしさである。さて、屋外彫刻は全体を通して言えると信じているイサムさんの尺度大系を明らかにするこに今は意義があると感じている。なんでか、先ずイサムさんのサイズの決め方が僕は好きだ。そして、それが複数からなる彫刻の場合、イサムさんの彫刻たちの間隔が好きだ。そして、それは定性的なものではなく、一種剪断のないイサムの尺度大系がある。はず。あとは、やっぱり嫌いな彫刻もある。の形とか意義は考えなくていい?素敵なメリットもある。
もちろん素敵な彫刻はあった。特にシアトルボランティアパーク内にあるブラック・サンは本当に良かった。いわゆる彫刻やアートと言われるモノがよくわからない、好きでない人も、良いと言ってくれると思う。ただし、見るのは夕暮れ時である。コネティカット州に設置した白い大理石の円環彫が西の朝日を受け昇り、黒御影の円環彫刻が夕暮れ
を迎える。夕暮れ時落ち行く太陽を眺めるブラック・サンはシルエットの様に浮かび上がり、太陽の明るさを引き立てる。彫刻のまえにあるポンドは、太陽を照り返えす。そして、遠景にはシアトル市内のミノル・ヤマザキのタワーが佇み、その向こう側へ太陽が沈んでいく。これはイサムさんの彫刻であり、牟礼の庭にも通ずるものがある。風景、地球との交流である。

こんな僕のような学生が研究をしていて申し訳ないですが、これからもよろしくお願いします。そして、お誕生日おめでとうございます。
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.17 2011 考察 comment0 trackback0

卒論再読

非常に稚拙な文章が並ぶ。
それでも、その時考えていた事、
今忘れてしまいかけていた事の呼び水となる。

ただ難しいのは、
俺自身は読めばわかるが、
多分他の人に伝わるレベルまで
降りて来てない。

なぜこんなにも
しゃべれないし、伝えれないし、まとめられないし、誤字脱字おおいし、

あーくやしい。
頑張れ
頑張れ
負けるな
ごごーー

イサムノグチの独特な雰囲気を
抽象化しない言葉で
表現するのは
できることなのか。

しないとまずいぜよ。
一歩距離をひいてみるとーーー

見えてこない。

頑張れーー

岡田先生に相談するか。
.30 2010 考察 comment0 trackback0
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Teppei Kobayashi

Author:Teppei Kobayashi
人間的に魅力のある人が一人でもいれば、
その場は凄く魅力的になる。
それに変わる場を設計したい。
物理的に。

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