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孤独と空虚

仙台へ来て、はや五ヶ月。

仙台へに来たかった理由のひとつは一人になりたかった.

それがどんなものか.
一人とはどういうものか.
一人になると、何かを味わえると感じていた.

全然そんなことなかった.
すこしは孤独を味わえると思っていた.
空虚?虚しさのが強い。
孤独は恐らく生涯味わえない.
それは俺の性にも合わないだろう.

この一週間は楽しいよ。
もっと楽しくなりたい。

孤独は理解者がいるいないとか
信頼されているされていないとか
っていう次元ではないのだろう。

カフカに出てくる図書館に行きたい.
本の香りがする中で、
ゆったり本を読みたい.
そんな金曜日の朝.
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.07 2012 つぶやき comment0 trackback0

七夕まつり


仙台は今日から七夕祭りである。
昨日は花火が市内にある広瀬川からあがり、浴衣の人を拝見することが出来た。
広瀬川からあがる花火は或る程度連続して花火があがった後、結構間が空いていた。恐らく河川敷がそこまで広くなく連続して打ち上げれないんだと思う.今迄見たことのない感じで面白かった.今年初めての生花火だった.

さて祭りだ!
仙台のアーケード商店街がにぎやかなことは有名みたいだが、
それよりも驚くのは、七月過ぎから、アーケード商店街又はその近辺でなんらかのお祭りが行なわれている印象を受ける。首都圏の場合、色々なところでお祭りが有るので,探し求めれば毎週花火や祭りに辿りつける気がするが、仙台は同じ場所で違う祭りが開かれている。そして,商店街で開かれる場合は近隣の店舗が広告を出しつつ、常に参加している印象を受ける.中々興味深い構造な気がする。

さて,七夕祭りは仙台の人はあんまり意識しないという話をちらほら聞いており、
そんなことはないとは思っていたが,今日受けた印象は”祭り感”がなかった.

祭り感はどこから来るのか、
祭りはしばしば日常を非日常を変える力を持っているという話をきくが、
そのパワーは七夕まつりでは感じなかった.

恐らく東北四大祭りの仙台の七夕祭りは、全国でニュースにもなっているだろうが、
日常商店街を利用している私は、「あ〜お祭りやっているんだ」
という印象のが強かった。

住みやすい都市と言われる仙台に居を移して約四ヶ月、
寂しかったり、社会を仕事をしていて感じるけど、こういう感覚は仙台に来ないと絶対味わえなかったと思うので、ありがたいと思う.

お盆休みが8/11-8/15位までとれそうで首都圏に戻りますので、ここまでおつきあいして頂いた方で、
時間あるかた是非連絡下さい.

写真は,昨日東北大学の白柳くんが彼女にキスしようと遊んでいるところ.
やっと友達ができる兆しが見えてきて,嬉しいです。

yanagi
.06 2012 つぶやき comment0 trackback0

覚書

久しぶりの帰京に合わせて、木曜20時過ぎに東京についた。会う予定は、研究室の後輩たちで、彼らをお店で待っている。最初に顔を出したのは大学の最後の先生で、ドクターの先輩と、OBの先輩と三人で入店をされた。びっくりしながら、会話に混ぜていただく、
  普通なら当然わかる話でも、最近人からまともな話を聞いていなかったので、頭が働くか心配していたが、話し手の人々の言葉がものすごく明解でわかりやすかった。
学生時代に聞いたことのあるような話をきいていても、社会人、ある企業の一員になると、現実味座違う。当時学生だった私は、あはは、バカだな~っと聞いていた世界が目の前にあるのだから。
先生の話自体、また話し言葉で、想像するとさ…と何度か聞く機会があった。すごく、ある意味ぞっとする。どれだけ普段の生活に対して自分自身が想像力を伴って生活をしているか、そういう会話をしているか。仙台に来て、これがものすごく疎遠になった。現実の問題を丁寧に着実に解決するのと違う次元の話だ。会社の人にも…少しでもこの目線を、普段から持つようにして欲しいもんだ。

色々な話を聞く。楽しかった。すごくみんな丁寧に喋るなという印象を受けた。丁寧というよりは、紡ぎ出すというような話し方だ。違う生活に入り込むことで、見えていた世界がまた違う世界になる。僕も丁寧に言葉を使おう。基本雑すぎるから、会社で炎上する。笑


仙台から、東京へ来るときに感じることが二つある。何かに対してぞわっとする感覚と、本当に湿度と空気の違いだ。仙台は実家の方よりも空気が鋭く冷たい。東京での蒸し暑さは異常に感じるほど、仙台の空気は涼しいのだ。ぞわっとする感覚は、いまだに理由がわからない。知っているはずの土地が、ものすごくよそよそしく感じる所から来ているのか、ただ単に人の多さと忙しなさに反応するのか。なかなかこんな体験は出来ないとおもうので、ゆっくりこれは味わうことにする。


金曜日は偶然同じ講習に参加していた、高松さんと昼食をさせて頂いた。都市や空間を見る眼差しは、その人の仕事と結びついている。これは、木、金、土と続く共通の話題だと思うが、社会を切り取る眼差しは沢山ある。切り取る先は、世界市場か、日本市場か、もっと狭い目の前にある市場か。その関わり方も、直接的か間接的か、実社会としては結びつきは殆ど感じないこともあるかもしれない。一つの分野を極めることは、一つの世界を見極め、コミットする切り口を見つけることかもしれない。

結局専門性をどこにおきたいのか、どこにおくべきなのか、そこまでのプロセスを見つめ直さねばと感じる。

夜は久しぶりに実家に、彼女を連れて。家に帰ると、おしゃれにしていると思っていた自分の部屋より、家のがおしゃれと気づき、凹んだ。
飯が本当に美味しかった。久しぶりに両親とも話せて良かった。
その後忙しなく、地元の飲みへ。何だかんだで、みんなと会えた。なんと、二人の友人の婚約と結婚?が決まっていた。な、な、な、なんと!仲いい友達の結婚式は初めてである。めでたいな~ほんとっ。式が楽しみすぎるぜよ!
しかし、飲み過ぎて、結構記憶がなくなっていた。日本酒に弱くなってる…悲しい…

土曜日はチームベトナム、ゆーた、ゆーくん、たける、あきちゃんと話す。なかなかみんな楽しそうな生活を送っているようだ。おれも最近腰が痛く、ゆーたに嫌なこと聞いた。思い込みからおれもヘルニアになりそうだ。

話すことの難しさを感じる日々で、ゆーくんの言っていた、何を伝えたいか、どうやって伝えるか、…つまり、目的、手段、方法を明確に?的なことは、これまた気をつけなくてはと思った。

日常、喋る相手もおらず、考えの描写回数が減り続けることは、本当に懸念材料だなと感じる。描写だけでは終わってはいけないという議題を投げかけたあきさんは、その後違う方に話を向けてしまって残念だった。描写をして、それについて語り合うには、土曜日は時間が短過ぎたかな。
.26 2012 つぶやき comment0 trackback0

今。

修論発表は終えました。
研究は終えていません。
今回の発表は、単衣にイサム・ノグチの site sculptur の配置に関する基礎の基礎分析でした。

一月半ば言説の分析を後輩の研究をみていて、組み直すことを思いつき、やり直しました。
この分析をやったおかげで、この時代になぜイサムさんの論文を書くのか自分のなかで腑に落ちました。それまで卒業論文とは違い研究の意義が本当にわかっていませんでした。
イサムさんの作品を考えることは、どうやって、空間をつくることが、時代を超えていくかということです。
土木の分野は長い時間に対する構造物をつくる分野で、私たちが扱う風景も長い時間が生成した産物です。人間がつくるものは基本的に射程距離が短すぎる。そして、多くの人がその場、その時の雰囲気に流される。

良いものは必ず残る。
それを信じて信じて制作をし続けたのがイサム・ノグチという人だと思います。その射程は人類の時だったと
今後は文章の多い、小さいに関わらず、同じ手法でイサムさんの文献を、少しずつ和訳しながら分析したいと思います。
配置に関する分析もあくまでもどういった空間をつくったかというより、どういう配置になっているかという物理的な記述のみにとどめています。これも解釈をしていく必要があります。

いっぱいやりたいことがあります。笑
なんにも研究は終えられなかったなと。

この論文は指導教員である佐々木葉教授
建築家河村純一さんには三年間にわたりお世話になりました。
あとやっぱり親。やっと、迷惑をかけずにすむ。ちゃんとありがとうございました、言わないとな。
もう少し旅行とか引越しとかで迷惑をかけそうなので、それおわってからだな。

ここまでの結果は、大学、河村さん、日本アメリカ庭園美術館、自分に収めます。
ちゃんと本論をあと二ヶ月じっくりことこと丁寧に書き上げます。

ひとまずの今の記録。謝辞。
.01 2012 つぶやき comment1 trackback0

暮らしやすい

暮らしやすいってなんだろうか。
日本で暮らしにくいっていう、感覚はあるのだろうか?
地方都市の人は確かに暮らしにくいのかもしれない。
車がないとどこへも行けない。公共交通は数時間に一本。料金は高い。
ただ、これが暮らしやすいという言葉に、直結するのかというと、そうは思わない。ただ、東京に住む人たちの勝手な視野の狭い意見だろう。一つの見方しか出来ない、一つのあり方しか出来ない事は、その存在を危うくする。

ヨーロッパには、村が村としてしっかり存在しているように思う。これはよそ者の勝手な視点だろうか。
でも、この間話しをしたドイツ人は、自分の村はなんもない小さな村だよ。とか、以前泊まらせてもらった村の人と話している分には何も所謂引け目みたいなものを感じている様子はなかった。
日本は東京という、大きな都市が中心に回っている。この構造は長くは持たない。そう誰もが感じている時期にきている。そうなった時の個としてのありかたが今後必要になってくる。

そういう意味で誇りが持てるまちってのは、やっぱり重要なんではないか?
別に誰に主張するものでもない。
ただ個人、むら、としが立派に活きる。
それで生きていければ良いのではないか。

生きていけないのは、ダメだ。
今日の朝刊で、東日本大震災の結果、女性の雇用不足が記事になっていた。
どうしたら、いいんだろうか。

残業を良しとしない、ワークシェアの概念は、残業した分は他の人働きを奪っているという考えに基づいていると聞いたことがある。世の中の残業している人の仕事を、東北の人にシェアすることは出来ないのだろうか。
.11 2011 つぶやき comment0 trackback0
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Teppei Kobayashi

Author:Teppei Kobayashi
人間的に魅力のある人が一人でもいれば、
その場は凄く魅力的になる。
それに変わる場を設計したい。
物理的に。

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